文系オトナギーク女子

"人生ギーク"な大人の女性目線で綴る、日常に即効性のある 今日のお洒落からカルチャー、ゲス話までをお届けします。

コラム・思うこと リアルなハナシと人間模様

何を見ても、何をやっても、何を読んでも無感動が襲う<大人になるということ>

何だか暗いタイトル(°д°)

でも、何も特別な話じゃございません。ある程度の年齢の大人ならば誰でも経験する感覚のお話です。

 

ここ数年、特にこの2年くらいずっと、私は「心を揺さぶられる経験」に乏しくなったと思う。

 

うつっぽいわけではなく、心身ともに極めて健康。

しかし、素敵なアートを観ても、映画を観ても、本を読んでも謎の無感動が私を襲う。

 

ちなみに感動がやや薄いだけで、何も感じないわけではない。何事も、そこそこに楽しかったり、面白かったりはする。

小さなことで「へえ」と感心したり、ちょっとしたことで涙ぐんだり、あ、そうそう先日映画「この世界の片隅に」を観て目がシジミ大になるまで泣いたわ。むしろ今思い出しても涙が止まらない。

 

あら?結構感動してるじゃん( ´,_ゝ`)

 

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いや、しかし、そういうことではなく・・・

ちょっと楽しいとか美味しいとか、面白いとか思ったとしても、その時だけで何も残らないの。アラフォー以上の大人の皆さん、そういう経験ないですか。

 

それは多分、私が大人になりきって、ひと通り色々な経験をし終えてしまったから。(あと脳の老化w)

 

 

例えば映画一つ取っても、もう私には「まるっきり全てが新鮮で大興奮する」なんてことはほぼ無い。

あ、この監督はこういう感じの画を撮って、◯◯リスペクトで、こういうアプローチできたのねとか、何となく「わかってしまう」部分があり。

 

あー音楽もいいね!いやぁ、いい作品だった・・・(最後の感想はだいたい「普通に面白かった」)

 

(^ω^)・・・

 

(・A・)・・・

 

なんかもー

「普通によかった」「普通に面白かった」って、私の中では無感動と同義になりつつある今日この頃よ(^q^)

 

 

この感覚うまく言えないけれど、一条ゆかり先生の漫画に、いい比喩があった。

「でも なにか足りない

おいしいんだけど

昨日のワインを飲んでるみたい

恋愛の香りが飛んじゃったのかしら」

--「正しい恋愛のススメ」一条ゆかりより

 

そう、大人になってから、何を見ても聞いても、対象物に鮮やかに恋する感覚がなくなって久しいのですね。

まさに栓が開いて久しいワインを味わっているように。

 

 

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この「スレちゃって何をやっても無感動問題」、オーバー40の先輩2人に相談したところ、2人とも「それ、わ か る!!!!!」とのことでした。笑。

(自分だけじゃなくてちょっと安心)

 

その先輩二人とも、それぞれ本の編集、広告業界ということで、世の中の裏側を見てしまうような仕事だからというのも大きいかもしれませんね。

 

私自身の感覚としては、“いつでも何でも引き出せるし読める”ネットの影響も少なからずあると感じています。何でもネットで読んで、見てきたような気持ちになってしまう。一億総・耳年増タイプ社会ね。

そして気がつくと、さして読みたくもない文章をつらつらと読んでいたりする。無感動の中で。

 

ってこの私が書いた文章を読んでる人が死んだ魚の目で読んでいたら辛いので、この辺にしておこうと思う。

 

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まとめると

 

◯大人になればそういうものだし、ある程度は仕方がない。成猫がちょっとのことではオモチャでじゃれてくれなくなるのと一緒。

 

◯正直言って、いつだって新鮮な最高のエンターテイメントは、何歳であろうとも「恋をすること」だけなのである

 

うん。

大人はこの感覚と付き合っていかなければならないし、よく言えばこの動じなさ(恋に落ちにくさ)が安定感に繋がるとも言える。

 

でも時に惑い、揺らぎたい、揺さぶられたい。フレッシュさが欲しい。

 

やっぱ恋?いやいやリスクでかいっす笑

 

これといった結論はないが、大人の皆さんはこの「無感動」にどのように対処しているのかしら?いい方法があったら教えてほしい。

 

(おしまい)

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