「人は死を意識するとパフォーマンスが向上する」は真実。死を考えて人生を豊かにするススメ
「人は“死”を意識すると、本当にパフォーマンスが向上する」という研究結果が発表された。(詳しい記事はこちら)
これ、私も体験済みだから言うけれど、かなりホントだ。
ワタクシの場合、一昨年前、母が胃がんに掛かって以来「ああ、人間てやっぱ死ぬんだわ」と強く意識するようになった(幸い母は早期だったため今も元気です)。
その事件のビフォア/アフターで比べると、私はそれから10倍は思いっきり生きるようになりました。
今まであったどんな挫折よりも、死の足音は効果てきめん。
しかも、持続力も抜群。
あれから2年弱経った今でも、「明日は大切な誰かを失うかもしれないし。自分もそのうち死ぬのだし」という意識は、毎日毎日、良い意味で続いているのだ。
漫然と過ぎて行く日々につい凹んじゃう人にオススメしたい、「死を意識した思いっきりライフ」をご提案致します。
「死を意識する」と人生がこんなに豊かになる!
終わりが見えている仕事と漫然とやる仕事には明らかにプロセスに違いが生まれる。
私の例でいうと、
・母の病気以前→仕事はまあ楽しいけど、毎日おんなじだよね〜。
・母の病気以後→今日も何の心配事も起きずにしっかり仕事ができた。それだけで満足。すべてに感謝。
ちょっとキモい宗教家ちっくになっちゃったけどwww
私の場合は、こんなに心持ちが変わったよ↓
毎日ベストを尽くすようになった
とにかく毎日ギリギリまで何かをする。
眠くて白目をむくまで何かをしています。そんで気絶するように寝るwww
総じて、今日も楽しかったなーと思います。
1日単位で、今日もがんばって生きたなーと思えるようになりました。
自分のやりたいことに正直になった
変な「ガマンしなきゃ」がなくなりましたね。
人生は長いようで短いと心底思ってからは・・・
会社に居るのがイヤだったら起業すればいいし、起業に失敗したら嫁にいけばいい。そんな風に、人生を自由に考えられるようになりました。
やりたいと思ったら恐れずやってみるのが人生の醍醐味じゃん、ということに気づいたというか。
とにかく今まで誰に何を遠慮していたのかしら?と思うほど、自分に素直になりました。
もともと過激だが、さらに過激になった!?
気の合わない人に無理に合わせている時間がもったいない。
アホに合わせてアホな仕事は絶対にやらない。
ちょっと変な人と思われてもまあ、いいや。仲良くしてくれる友達はいるし。
別に誰にもケンカをふっかける気はないが、自分の時間は自分の時間なのだという意識があるから、有意義に使わせてもらうってだけ。
他者に優しくなった
毎日仕事にのほほんと行けるってのは奇跡だし、ちょっと嫌なやつがいたとしても、愚痴を言えること自体が既に楽しいのだ。
とにかく、普通の毎日がありがたいし、楽しい。
ちょっとイラッとさせられたとしても、とりあえず毎日に感謝してるので最終的には許せてしまいます。
・・・博愛精神に溢れててちょっとキモいけど、でもホントなんだも〜ん。
思いっきり生きれていない人は、死への実感が湧いていない人
「どうせいつかは死ぬ」。皆分かっているはずだけどピンとこない。
こればっかりは、どんなに「明日死ぬかもしれないんだぞ!」と言い聞かせられても、自ら進んで意識できるものではない。
高い確立で、今日の続きのようなのほほんとした明日がやってくるのも事実だしね。
本気の「死への意識」とは、良からぬことやピンチが起こったことによって刻まれた恐怖と孤独だけが、分からせてくれるものなのかも。
私もそれを意識するようになったのは、普段感じようとしても感じられない本能的な恐怖を刻まれてからだもん。やっぱ人間も動物だなって思ったよ。
もちろん命の危険を感じることや辛い出来事は無いに越したことはないけれど、その恐怖をプラスの力に転じることができれば、生きることへのモチベーションは一気に向上すること間違いなし。
自分が死に向かっていることと共に大切な人は居なくなるものだという意識を持つのは、様々なことのパフォーマンスを上げるために有効と身をもって感じるワタクシなのでございました。
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…死をぜーんぜん意識できないアナタは、とっても若いか、気づかずして恵まれた環境にいるかのどちらか。
それはそれで、いっちばん素晴らしいことだよ〜。
(おしまい)