サブリミナル枝野効果と人間模様
選挙。終わりましたねー。
今日わたし、たまたま緑のロンT着てたんですよ。
ふと外のウインドウに映った自分の姿をみて、「あらやだ小池の百合子ちゃん・・・?」と思ってしまうほどには、彼女の色によるイメージ戦略は浸透しちゃっているんだと思った。笑。
だれが好き好んでゆりちゃん惨敗後に緑を着るというのだろう。(私だ。たまたまだ。)
あ、もちろんそもそも希望の応援はしてませんよ。(私自身は取り立ててどこの応援もしていません)
今日も引き続き、政治の話ではなく人間ウォッチングの話です。
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今回の選挙で、男をあげた枝野さん。
小池がダメだコリャってんで、マスコミの持ち上げる対象が彼に手のひらクルーしたもんだから、好意的に取り上げらているというのもあるけれど・・・
それを差し引いても、彼の演説は人を引き込む力がありますね。
言葉は硬派でありつつもわかりやすく、力がある。
最近フワーッとしたひらがな&カタカナ語だらけのゆるゆる演説が多いぶん、かえってまともに見えちゃう効果も・・・(^Д^)
というか、自分の周りでも「(なんとなく)えだのん良いよね♡」と、多くの人が彼に対して“人として”好意的に思っているのにビックリしたんですよ。
これって、震災後に官房長官としてTVに出まくっていたサブリミナル枝野効果が未だにあるってことなんじゃないでしょうか。
「あのとき、不眠不休で国民に語りかけてた人」という、謎の親近感がフツフツと揺り起こされるような感覚を得ている人が多いのかな(もちろん無党派層でね)。。。と私は感じましたよ。
加えて、人は既視感のあるものに惹かれる。
さらにそういった既視感(ある種の安心感)のある人が、「新しいこと」をするとめっぽう弱い・・・
そういった色々なエフェクトが効いた、今回のえだのん哉。と思った次第でございます。
まぁ終わってからは何とでも言えるけれど、立憲民主の旗揚げが菅直人じゃ多分ここまで盛り上がらなかったと思うのよ。笑。
枝野さんを受け入れる土壌が長い時間をかけて国民の無意識下で育っていて、盛り上がる素養が十分にあった人なのだな〜とつくづく思ったのでした。
(もちろんタイミングもばっちり)
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にしても、一時はゆりこ人気(今にして思えば嘘のようだが、いっとき爆風が吹いてたw)にあやかろうとして我先にと船に乗った人々が没落し、、、
ある意味行き場を無くした人々が、かえって脚光を浴びる、、、
人生は本当に、一寸先は闇ですわ。
読んでも読んでも、読みきれない。
計算通りにいったとしても、一時的なものである可能性もある。(百合子…)
であればやはり、最終的には信念と本能に従って思いのまま生きた方が、後々やりきった感はあるかもしれない。
どうせいつかは死ぬのだし。
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どちらにしても、
先を読んで計算しまくって(計算も重要だと思うが)、他人のふんどしで相撲をとって、ダメだったら他人を批判する・・・
そういうやり方のツケが、自分の人生の最後の方に回ってこないように生きたいと思った次第でした!
(おしまい)