病と人生
日々いろんなニュースがあるが、私個人的に、
誰かががんで闘病、または亡くなったというニュースが一番胸をしめつけられる。
がんの話は、本人や家族にその患者を持った経験があるか無いかで、全くその受け止め方が変わる。
私は家族が一度がんを患い、幸い手術で事なきを得たが、その経験の前と後とでは人生に対する重みがまったく変わってしまった。
よく「今、生きていることが奇跡」なんてことが言われるが、それをただ頭で理解しているのと、体の奥底から実感することは全然違うと言えばいいか。
また、それまで全くの他人事だったがんに対して、当事者意識を強く持つようになった。
正直、自分や大切な人ががんに罹った経験が無い人には、絶対にわからない気持ちがある。(し、私もまた、自分が患ったわけではないので、自身がそうなった時の気持ちは絶対にわからない)
励ましや明るい言葉も、彼らにとってはただの暴力になることがあるのもよく分かった。
例えば、早期だったからといって励ますつもりで「幸いだったね」などと言ってはいけないことも。
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ちなみに代々医者の家系の高須先克弥先生は、病に負けないように闘う気持ちも大切だが、最終的には自然に任せていくしかないと言っていた。
病気に対して投げやりでもなく、変に挑戦的でもなく、自分がちょうどいい落としどころだと思う地点でつき合って行くのが大切だと。
そして僧侶として得度を受けている高須先生は、「ある時点になったら、“あの世っていう、いいところに行けますよ〜”と話す」のだそう。
子供だましでバカにするなと言う人もいるだろうが、ある程度の段階になったら、シビアな話だけよりも、明るい死後の話に救われる人も多いだろう。
体はもちろんだけれど、大変なときにはまず、心が救われることも大事。
人や自分の心を少しでも救えるのなら、将来、得度を受けるのもいいかも・・・
本気でそう思う私なのであった。
また、私の場合は、家族と同じ種類/ステージの方のブログを読むことで知識を得られ、その方が明るく頑張っている様子を読むことでとても元気づけられた。
がんに罹ったことのないお医者の話よりも、よほど役に立つ情報を得られたりもする。
(ただこれは諸刃の剣な部分もあり、ネット上に転がっている間違った知識や言葉の暴力などに引っ張られたり、闘病仲間を失うことによって逆に意気消沈する場合もあるので難しいところも)
正しい知識を得てベストを尽くしつつ、神頼みでもスピリチュアルでも何でもいいので心が楽になる場所を見つけるのが良いのかな、と自分の経験上思う。
そして最後まで、奇跡はほわんと頭上にある、と信じていくのが理想。
がん治療に関しては、一日も早く進歩を遂げてほしいと願うばかりです。
(おしまい)