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ECDのロンリーガールを聴いています
「ECDの“失点イン・ザ・パーク”の元ネタ知ってる?ビリー・スチュワートのSitting in the parkだよ」
そんなことをHIPHOP〜レアグルーヴ好きの知り合いが教えてくれたのを思い出す。
わたし自身はそれほどHIPHOPに造詣が深いわけではなかったけれど、HIPHOPのそういう高度な笑い?オマージュで遊ぶ?部分に惹かれていました。
攻撃的なのに知的な遊びをしている感じが。
それになんというか、当時は今よりHIPHOPは、立ち入れない男の(子の)世界という感覚があったのです。
そういう部分をひっくるめて、あのカルチャーにたまらない憧れがありました。そのど真ん中にいらっしゃったECDさん。
ECDの曲で思い出すのは、わたしの場合は何と言っても「ECDのロンリーガール」。
当時はこの歌の歌詞に出てくるロンリーガールだったわたくし。
それこそ今や、歌詞に出てくる「時はゆくゆく 乙女は ババア」ですけどねww
ロンリーガール 寂しいんじゃないよ
ロンリーガール 一人が好きなだけ
ロンリーガール 泣いてるんじゃないよ
ロンリーガール 風が眩しいだけ
ロンリーガール もう時間
マジな話早く立ち上がれ
若さ特有の自意識、プライド、渇き、焦り、ヒリヒリした感じが本当によく伝わる名曲だよね。。。
と思ったら加藤ミリヤちゃんもカバーしてるのね ←何と、おばさん知らなかったおwww
ECDさん、わたし自身はもちろん知り合いではないけれど、もともと私が音楽業界に身を置いていて周りに繋がりのある人が何人かいることもあり、なんとなく全くの他人のようには感じませんでした。(実際はまったくの他人なんだけどね)
それは何でなのか考えた時、ミュージシャンやモノづくりをするクリエイター、その気質が少しでもある「どこか浮世離れした不器用な人たち」からすると、その代表のように思えるECDさんが普通に?暮らしていること自体が、どこか頼もしい感覚がしていたと思うのです。勝手にね。
すってんころりん人生何度も挫折しつつも健全に(?)作品を世に出し続け、家庭の人でもある男が音楽をやり続けていることを、勝手に嬉しく思っていました。
実際のところ、「アル中でどん底を経験したミュージシャンが、家庭を持って幸せになったとさ」というほど全然単純ではなかったとは思うのですが。
ともかく、寂しいです。ご冥福をお祈りします。
もう私はロンリー“ガール”ではないけど。。。ロンリーガールはいつの時代も街にあふれ、あの名曲も不滅です。
(おしまい)