文系オトナギーク女子

"人生ギーク"な大人の女性目線で綴る、日常に即効性のある 今日のお洒落からカルチャー、ゲス話までをお届けします。

コラム・思うこと リアルなハナシと人間模様

チヤホヤされたいという本音との向き合いかた

 

ちやほやされたい。

隣の友人ばかりがあからさまにチヤホヤされていたら、ちょっと凹む。

 

 

女性ならば(男性も?)、一度はそんな気持ちを持ったことがあるのではないだろうか。

 

(「私は一度もない!むしろ煩わしい!」という人。

あなたは誰よりも、相当なレベルの負けず嫌いです。笑)

 

 

 

というのも先日、同世代(アラフォー)の女友達(未婚)が、急に口にした言葉にハッとしたのです。

 

 

「私、なぜか今になって思ったんだけど・・・

モテたいの。チヤホヤされたい。

 

 

(・A・)・・・

私は耳を疑いました。

 

なぜなら、35オーバーになると自分比で明らかに劣化しますので、「(不特定多数に)モテたい」「チヤホヤされたい」とは思わなくなるからです。

否、チヤホヤされたいなどとはもう思っちゃ駄目、もうその方向とちゃう、と自制するようになるのです。

 

 

それに、私らの年齢のお悩みといえば(未婚版)、

 

・結婚するかどうか/できるかどうか

・子どもを作るかどうか/できるかどうか

・不倫やセックスレスなど生々しいこと

・一人で死ぬことへの不安

・保険や住まいに関すること

 

 

こっち方面がメインとなってきますので(切実)、

今になって「モテたい」とか言い出すと、バカなんじゃないかと思われます。

 

 

だけど。

自分がある年齢からフタをしてしまったその言葉、「モテたい」

 

久々に聞いて、

ああ、そうだよね。人間だもの、幾つになってもチヤホヤ優しくされたいよね!と、とても新鮮かつ解放されるような気持ちを覚えたのです。

 

 

思うだけで罪? アラフォーのモテたい欲

 

とはいえ、さすがに私はもう大人ですので、

コンパのような場所で「えー」「ヤダ〜」などとキャピりたいわけではありません。負け惜しみではないですが、そういうのは心底めんどくさいです。

 

ただ・・・

漠然と、大切なもの扱いされたい( ´_ゝ`)

 

 

友人の「チヤホヤされたい」という言葉で気付かされたのですが、35過ぎた頃から、なんとなくレベルで男性からの扱いが変わりました。

 

35過ぎていきなり酷い扱いを受けるようになったとかではないのですが・・・

 

うまいこと具体例は出せないのだが、男性はおしなべて無意識に「ヤレる対象であるかどうか」を選別していて、今まで私は「まあヤレる」チームに入れて頂いていたっぽいが、どうやら最近は「いやまあ、そういうんじゃないよね」チームに加入(強制参加)したようです。

 

そしてこの「まあヤレる」チームというのは美醜はさほど関係なく、若さが大いに関係あるということです。(関係者談)

 

 

普通に若さがあるときは気づかなかったが、過ぎ去ると気づく。

若いというだけでさまざまな場面で、大なり小なりチヤホヤされていたのだなぁということに。

 

もちろん、時にはチヤホヤを通り越してセクハラやストーカーされたり、危ない目にあったりもするので、一概にチヤホヤ=いいもんだとも言えないのですが。

 

 

しかし、今。

危ない目にも遭わなくなりました(^Д^)

 

危ない目に遭うとしたら保険金詐欺とかかな!

 

 

こうなってきますと、曲がりなりにも恋愛市場のど真ん中に入れて頂いていた頃が、単純に懐かしく輝かしく見えてくるのでございます。(It's glory days)

 

 

そんなこんなで女性はある時期から「モテたい」方面から自動的に速やかに降りなければならない。

そうでないと痛々しいババアになってしまう宿命があるので、自ずと素直なそういう気持ち(時には大切に扱われたい気持ち)にもフタをしなければならなくなるんですね〜。

 

 

強い「チヤホヤされたい願望」は醜いババアをつくるから要注意

 

いくつになっても、時には女性扱いされたい。

本音を言えば、時にはチヤホヤされたい。

 

それは女性の素直な願望であり、また、そういう気持ちが全くなくなると、これまた「おじさん…いや、おばさんか!」という不思議な生物になってしまうので、女であり続けるのは大切なことです。

 

一方で、こうなってはいけないと思う先人たちもたくさんいます。

 

若い頃のチヤホヤを忘れられず、若い女性社員にちょっとした嫌がらせや意地悪を働いているオババ社員とか、普通にいますよ。

彼女たちを観察していると、やはり「ああ、自分がナンバーワンでなければ面白くないのだな」ということがわかります。バブル世代に多い気がする。

 

口では言わなくても、行為の端々に「負けないわよ感」が出てしまうんですね。

 

人として、そうなってはいけないっ!

 

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オーストリアの画家グスタフ・クリムトは「若さはこの世の全ての美しさと幸せの象徴であり、老いにはみっともなさと孤独しかない」的なことを作品で叫び続けたスケべオヤジ芸術家でした。

 

身も蓋もなく言えばそれはこの世の真実。

 

ですが、その中で「どうやって、よりマシに生きていくか」を模索することは大切なんじゃないでしょうか。

「日々失うなかで、マシになろう」と生きるその姿勢には努力と謙虚さがあり、見方によっては美しさがある…気もするのです。

 

↑「マシに」がポイント。これが、「どう輝くか」とか言っちゃうと図々しくなります。

 

 

気持ちにフタをし過ぎず、いい落としどころを見つけていいババアになりたいと思う、今日この頃です。

 

(おしまい)

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